博士の日記

医薬系民間企業の研究員を経て、外資系企業でマーケティング職をやっているバイオ系博士が日々を語ります。

【民間企業研究職】(2)鬱病って漢字で書ける人尊敬する

前回の記事で、私の学生のときの暮らしぶりと現在の暮らしぶり、そして修士のときの就職活動などに関してお話ししました。

 

◆前回の記事はコチラから↓

https://micromegane.hatenablog.com/entry/2019/03/01/101352

 

どこからも無い内定となってしまった私は、一体どうなってしまったのでしょうか?

 

 

 

 

鬱になりました。

 

そうです。私は鬱病経験者です。ヘタレかもしれません。でもいじめないで下さい。

 

病院に定期的に通い、抗鬱薬も飲んでいました。

も10年以上前なのでなんていう薬か忘れてしまいましたが、何か副作用があってとてもつらかったです。体中全身がだるくなって、生あくびもとまらなくなって。

今となっては本当に副作用だったのか、それとも鬱病の症状の一種だったのか定かではありませんが、とてもつらい時期でした。

 

学生なんで、お金は困りませんでした。

仕送りと奨学金があったので。

 

毎日何してたと思います?

 

ずっとゲームしてました。

今まで中学卒業してからゲームなんてずっとやってなかったのですが、古いゲームとか実家から持ち出したり、中古屋で買ってきたりして一日中ゲームしてました。実験と同じく。9時2時だったかもしれません。

 

こんなんで毎日いいのかなーって思いながらも、他に何かできる気力があるわけでもなくただひたすらゲームしてました。

 

自分にとって、この期間は本当にどん底だったと思います。

さすがにこれは誰しもが通る道ではないですよね?

ただ周囲には何人かいましたよ。鬱になって研究室に来なくなった人たち。

これは理系研究室あるあるかもしれませんね。

 

ゲームばかりする毎日が3か月ほど続きました。

当時の指導教官が自分のことをひどく心配してくれて、研究室には来なくてもいいけど外には出た方が良いと、昼食などにたびたび誘ってくれ、実際に何度もごちそうになりました。そうやって外へ出る機会が増えてくると、気持ちもまた変わるものです。

 

そうこうするうちに、たまには研究室にも顔を出すようになりました。

 

鬱病の人にとって大切なこと、

それは「誰かに必要とされること」だと思います。

私には、幸運にも私を必要とする誰かがいてくれたのです。

 

一人は、M1のときから実験指導を担当することになった後輩の学生。

私がいなくて実験が思うように進まず困っていました。

 

もう一人は、前述の指導教官です。

アカデミアの研究者あるあるで書類仕事にまみれて忙しく、自分では実験できないので私のような実験して結果を出してくれる人が必要でした。(私は当時の先生の一番弟子だったので)

 

もちろん家族の支えも大切なものでしたが、家族はいつでもやさしく接してくれる最後の砦のようなもの。

そのときの私が必要としていたのは、家族のやさしさではなく、社会から私の価値を認めてもらうことだったのだと思います。

 

それは、今になって考えてみると、鬱病になった経緯を考えれば自明なことなのではないでしょうか。

 

 

就職活動での失敗

 

 

それが私の鬱病へと至るきっかけとなったわけです。

就職活動を一生懸命頑張ったのに、どの会社からも認められることなく内定ももらえなかった。

それが当時の私にとって、自分自身の価値を否定されていると同義であって、社会的存在意義を感じられなくなってしまったから鬱になってしまったのだと思います。

 

 

もしも今、当時の私と同じような境遇で鬱病で療養中の大切な知り合いがいたら、彼・彼女に教えてあげて欲しいと思います。

自分が必要とされていることってことを。

鬱病になった辛さは本人しかわかりません。

休みたくて休んでいるんじゃないんです。

一日中ゲームしたくてしているんじゃないんです。

やればできる子なんです。

 

自分と同じような境遇で鬱になる人って、それなりに優秀な人なんですよ(自分を優秀といいたいわけではありません)。大学入試だってクリアしてきただろうし、修士まで進んでいます。

「自分ってけっこうイケてるかも」と思い始めた矢先に、その矢がはじき落とされたりすると、鬱になったりするのかなーって。

 

鬱の人を励ますことは難しいかもしれませんが、少なくとも理解してあげて下さいね。

経験者からのお願いです。

 

今日はこの辺で。