博士の日記

医薬系民間企業の研究員を経て、外資系企業でマーケティング職をやっているバイオ系博士が日々を語ります。

鬱な私が博士課程進学を決断したワケ ~鏡花水月の始解に触れてみて~

前回、修士課程のときに就職活動にチャレンジしたこと、結果として失敗して鬱病になったこと、そしてそれを克服してきた過程を紹介してきました。

 

◆前回の記事はコチラ↓

https://micromegane.hatenablog.com/entry/2019/03/01/112739

 

今回は、鬱病を克服した私がどのようにして博士課程へ進学することになったのかをお話ししていきたいと思います。

 

鬱病になる前、もっというと就職活動を始める前の私は、髪を振り乱して実験に取り組んでいました(振り乱すほどの髪の長さはないんですけどね)。

その時の様子は、以前の記事で投稿済みです。↓

https://micromegane.hatenablog.com/entry/2019/03/01/101352

 

鬱病から完全に復帰できたのは、M2の夏頃でした。

その頃にはもう、就活シーズンは終わっていました。もちろん頑張ればいくらか就職先もあったと思いますが、鬱病から復帰した直後にまた就活っていうのはとてもする気になれませんでした。

 

ではどうすることになったかというと・・・

 

結論、

 

博士課程へ進学!

 

することを決断しました。

 

当時の私としては、学問の深淵に骨をうずめる覚悟の決断でした。

というのも、就職活動でうまくいかなかったから進学、というある種のモラトリアムが許されるのは【学士→修士】のときまで、というようなある種の社会通念のようなものがあったからです(少なくとも私のいた大学の学科内では)。

というか、そういった理由での博士進学は受け入れ指導教官としても認めていなかったのだと思います。

余談ですが、モラトリアムという観点でいうと、修士課程を2年で「意図的に」終わらせず、留年するというパターンもありました。就職活動をやり直したい人は、そういう感じにしていた人が多かったような印象があります。

念のため言っておきますが、昨今の情報は知りません。

 

博士課程進学を決断した背景としては、

 

・指導教官からの強い応援、支援があったこと

・再開した研究がうまくいき出したこと

・今無理に就職せんでもええで。(母親より)

 

その3点が、決断を後押ししました。

もちろん、もともと研究が大好きだったことも大きな要因です。

 

それを決断したのが、M2の夏の終わりころ。

ひぐらしも鳴いていたかもしれません。

 

それから二次募集の博士課程入試を受け、合格しました。

(博士課程入試では受け入れ指導教官がOKって言えば入れますよー)

 

その後修士論文は滞りなくまとめ、無事に修士号を取得できました。

数か月の鬱病ブランクがあっても大丈夫でした。

修士は取れました。

 

もしも今鬱病で悩んでいるひとがこれを読んでいたら、あんまり将来を悲観しすぎないで下さい。まだ学生なら将来はどうとでも卍解できます。

一体いつから鏡花水月を使っていないと錯覚していましたか?

つらいときは現実なんて見なくて良いんですよ。ゲームしたりブリーチ読んだりして、今しかできないことをもっと謳歌して下さい。

研究は就職してからでもできますが、ゲームしたりブリーチに熱中したりすることは社会人になって、しかも家庭をもってしまうとなかなかできませんよ。

ゲームの知識を蓄えて、ブログにいっぱい書くとそれだけで稼ぐこともできたりしてしまう時代です。

鬱病にならずに普通の学生生活を送ることだけが成功なんですか?

それって鏡花水月に錯覚させられていませんか?

愛染は確かに強力なボスでしたが、一護に負けたじゃないですか。

倒せない敵はいないんです。打ち負かすことのできないボスは出現しないんです。

それは揺らぐことない少年漫画のセオリーではないでしょうか(※打ち切り作品除く)?

 

そうして私の博士課程ライフが始まったワケでした。

 

ぶっちゃけ博士課程ってどうなの?とか、

博士号って取ったら就職できなくなるんじゃね?とか

心配しているみんなよ。

 

鏡花水月とか言っている私ができたんだよ?

ブリーチしらない人置いてけぼりだよね?イイの?

どう?自信ついた?

 

今日はこの辺で。